盛大な祭り行列と芳醇な「どぶろく」が白川郷の秋を包む 山々が紅葉に染まり、実りの収穫が終わる10月中旬。白川郷では、豊作の秋の喜び、家内安全と山里の平和の祈りを込めて、天下の奇祭と言われる「どぶろく祭り」が盛大に繰り広げられます。 どぶろくの由来 かつて白川郷は、平家の落人のかくれやと言われ、古くから外との交渉の少ない土地柄であったため、村人の心をいやすものは酒以外にはなく、粟・稗の雑穀類で地酒をつくっていました。年代は明らかではありませんが相当古くから「どぶろく」が祭礼に用いられていたと思われています。
明治元年、会計宮布達による濁酒免許(100石につき金20両の税金)。明治4年免許制度(許可料金5両)が施行されましたが、神社祭礼用については、慣習により無税で濁酒をつくっていたと記録されています。 昭和23年に酒税法が改正され、神社の「どぶろく」にも、酒税が課税されることになりました。税金はアルコール度数13度未満の物に対し1キロリットルあたり98,600円を基準にして、度数が1度増すごとに8,220円ずつ加算した額が課税されます。昭和37年より酒税法が一部改正され製造限度量が7キロリットル(38石8斗8升)になりました。 「どぶろくづくり」は、古くより受け継がれた独特の技法をもって、雪にうもれた一月下旬に、神社酒蔵で造りこまれます。どぶろくは祭礼用として独特に許可されたもので、境内からの持ち出しはできません。
どぶろく祭りの館
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家屋の雪囲いを済ませ、降雪で外の作業ができなくなると、集落の人々が家に寄り集まり、囲炉裏を囲みながら、酒を飲み、語らい、三味線を弾き、唄い、踊る民謡が幾百年も続きました。 この歴史とともに育まれてきた民謡は、祖先が残してくれた貴重な財産であり、今日も保存会によって受け継がれている。 白川民謡は、「こだいじん(※)」「白川おけさ」「しょっしょ節」「白川わじま」が代表的で、単調な中にもそれぞれ歌詞や曲に特異な哀切感ある郷土芸能です。どぶろく祭り等の祭礼はもちろんのこと、建前や屋根葺替、結婚披露宴などの酒宴で、披露され祝い親しまれています。 昭和12年に、各集落に民謡保存会が結成された。普通囃子手(はやして)8人(三味線2人、太鼓1人、尺八2人、四つ竹1人、歌い手2人)と踊り子9人(手踊り4人、笠踊り5人)とされている。唄は各保存会共通であるが、踊りは異なっている。 ※「こだいじん」は岐阜県の無形文化財に指定されており、題名の由来は、『子大事』つまり子供大事が転訛したものとされている。
獅子舞は、舞い手が4人入って8本足となり、百足獅子と呼ばれるものである。剣や刀などを持った少年が獅子と闘い退治する内容もあり、全国各地の獅子舞の中でも特異な形態と言われている。練習を重ね、秋の「どぶろく祭り」に全種目が演じられる。 ※白川村の獅子舞は岐阜県の無形文化財に指定されている。
![]() ![]() この踊りは七福神による祝い踊りで、めでたい大黒による「俵ころがし」の他に、舞妓による「春駒」「銭大黒」、七福神による「枕踊り」「きり大黒」などの種類がある。 江戸時代寛永の頃、3代将軍家光の時代に中国より春駒を献上したとされている。 それが日本中に広まり、各地で踊り伝えられていたが、当村においては、お蚕の豊作を祈る意味で初午に行われるが、めでたい意味を単調な生活である正月にも舞われるようになった。そのほか結婚式等、お祝いの席でも行われる。 元日の午後から白川郷春駒保存会の一行が、合掌集落内の民宿や飲食・土産店などを順に練り歩き、大黒様による「俵ころがし」、舞妓による「春駒」、七福神による「きり大黒」が披露される。尚、当日の行程については公表していない。 また、10月14日15日に白川八幡神社で開催される「どぶろく祭り」の舞台(午後3時過ぎ)において、上記演目を含め披露される。 太鼓、三味線、センバタタキ拍木の囃子で歌い、大黒など七福神を女装した男たちが頭巾をかぶり、だらり帯に赤たすき、紫のキリオのわらじという仕度。手には色紙のついた財(ザイ)を持つ4人、あとの3人は桑こきや、トトカカの扮装をして、各家の軒先ではやし立てる。 養蚕に対する目出度づくしを唄うと、踊り手は家の中のオモヤまで踊って入る。桑こきは、桑の葉をとるまね、カカは切板で切るまね、トトはショウケに切った桑を入れ蚕にやるまねをして踊るのは実に面白い。 夜になると子供達が提灯をともしてついて歩く。 ※ トト=旦那 カカ=嫁 ショウケ=ざる |